インターネットの思い出
今週のお題「わたしのインターネット歴」
お題大遅刻ですがせっかく書いたので書き切りました。私が中学生の頃のインターネットとの思い出です。
現代のデジタルネイティブ世代には敵わないものの、私の反抗期・思春期は割とパソコン及びインターネットにべったりでした。
■幼少期、海外。インターネットというかパソコンの思い出
インターネットとの1番古い記憶は、幼稚園に通っている頃のものです。家族の仕事の都合でシンガポールに住んでいたときでした。
とは言え厳密にネットに関する記憶は僅かなものです。父のWindowsパソコンを起動するときに現れるウィンドウと「ピーガガガ」の音。ダイヤルアップ接続です。
海外ということもあってインターネットには繋がりにくかったのかもしれません。そのためかは定かではないですが、主にパソコンでは海外製のCD-ROMのゲームをしていました。ジャンルとしてはアドベンチャー・児童向けおつかいゲームといった所でしょうか。
母としてはせっかく外国にいるのだし、子供の暇つぶしと英語の勉強を兼ねてやらせときたかったのでしょう。
今のCD-ROMのゲームはスチル差分の切り替えなどバラエティに富んだものだと思いますが、当時も当時なのでストーリーは単一、グラフィックはガタついてたけど、よく思い返したらバグはそこまでなかったです。
Freddi Fish Complete Pack on Steam
一番プレイしていたのはこのfreddie fishシリーズで、全部プレイ済みなのですが今でも購入できるようで…少し気になります。
プレイ動画みるとそこまでガタついてもないですね。
■インターネット黎明中期×オタクの好奇心=ネットどハマり
時と場所は移り小学校高学年時代、日本。
この頃から私のネット及びパソコン大好きが始まります。時代としてはちょうどおもしろフラッシュ倉庫が流行ったくらい。
きっかけはニンテンドーDSのゲーム「ぷよぷよ!15th anniversary」でした。
私はRPG以外のゲームを入手したのはぷよぷよが初めてでしたが、正直どハマりしました。
その要因としてはキャラクターボイスがついていたことが大きいと思います。
ぷよぷよのゲームの連鎖(コンボ)数に応じてキャラボイスとアニメーションが再生されるのですが、その演出は例えるならパチンコに似たものでしょうか。それがとにかく面白くて、やめられない止まらない。
冬休みと春休みは毎日隠しコマンドで強化したCOMとぷよ勝負してました。
そんな私はぷよ勝負ガチ勢に染まる一方、登場キャラクターにも本気になっていったのでした。
ポップな絵柄で、可愛いながらスタイリッシュなカッコよさがあるデザイン。派手めのカラーを使っているのにゴテゴテせずすっきりオシャレ感がある。そんな風に当時も今も思います。
さてさてついにインターネットが登場します。
前の話の父のパソコンは飛行機で日本に持ち帰ったときに壊れたようですが、後継のパソコンも中々古くなり動作が恐ろしく重くなっていました。ちょうどこの頃黒くてピカピカのWindows Vistaへ買い替え、憧れた記憶があります。
スイスイ動くインターネットで、私はぷよぷよのことも調べました。はじめは声優だったりより上手い連鎖の繋げ方を探そうとしたんだと思いますが、いつのまにか彼の地に辿り着いたのです。
「お絵かき掲示板」へ……
キャスフィのお絵かき掲示板の、ぷよぷよ専用スレッドでした。そこには同じようにぷよぷよのキャラクターが大好きな、同年代の人たちがいました。
その人たちはパソコンで絵を描きその掲示板に投稿しており、みんな程度や方向は違うものの上手かったです。
私も絵を描くことは好きで、中学生頃までは割と本気で絵を描く仕事をしたいと思っていました。
適当にハンドルネームを決め初書き込みをしてみました。そのしばらく後には慣れないマウスで絵を描いて投稿していました。
すると、ドキドキ楽しい世界が待っていました。
好きなキャラクターの絵を描いて、投稿して、コメントをもらって、他の人の絵を見て思いのままに感想を書き込んで、誕生日には好きなキャラの絵を描いてもらって、明日も学校面倒だななどと雑談し、たまに荒らしがいたので通報なりスルーするときもあって……
そんな日々はとても刺激的なものでした。
ここからは早く、典型的なインターネットによるSNS交流と二次創作にハマっていきました。Twitterでも「#インターネット老人会」タグなどでよく呟かれてますね。
本当にあるあるネタなのかネタが典型的過ぎるので詳細はまたの機会に譲りますが、ハマっていった順序としては下記を緩く行き来していました。
キャスフィお絵かき掲示板・お絵かきチャット
→Ameba/FC2ブログ・Amebaなう(Twitterのようなもの)
→個人二次創作サイト、Pixiv、テブログ
父は私がパソコンを使っていると渋い顔をしたので、この世界に居られるのは父が仕事に行ってる間。
この時間は本当に楽しくてあっという間で、自分のパソコンが早くほしいと思いました。が、当時のことですし当然買ってもらえることもなく、父のパソコンからアクセスしたインターネットと共に中学生時代を過ごしました。
■ネットどハマりを終え、ガラケーと共に新たな世界へ
高校に上がった頃でしょうか。
Twitterが大流行りし出すと、Amebaなうにいた周りの人たちもTwitterへ移りリアルタイムで楽しんでいたようです。
しかしやっと買ってもらったガラケーはアクセス制限を付けられ、パソコンからではリアルタイム交流できなかったため、次第にフェードアウトしていきました…
インターネットの世界に入るきっかけとなったぷよぷよですが、新作の出が遅く以前ほどの熱中もなくなりました。
ここで同時にオタクをやめられたら、今でもとっくにやめられていたのでしょう。つまりやめられませんでした。
私は本当にたまたま、ガラケー対応のソーシャルゲームにハマってしまったのでした……。
この頃交流していた人たちとは、今はもう話したりすることはありません。
その人たちのハンドルネームも殆ど忘れてしまったし、私がそうであるようにハンドルネームを変えている可能性が高く探しようがないです。
ギリギリPixivやニコニコアカウントは当時作ったままなので友達登録などしていたら残っているかな……?というくらい。
ただ懐かしいことはあっても、その辺の未練はもうあまりありません。現在はまたTwitterで色々な人に出会って満ち足りているし、当時は当時で充分楽しかったからです。
当時はお互い典型的中二病オタクが炸裂していたため、今更あまり刺激することもないだろうという理由もあります。
そんなこんなな昔話でしたが、私にとってはインターネットを通して話したり、絵を描いて見せ合ったりしてワクワクしていた時代があったということ、
そしてその交流した相手が今もこの世界のどこかにいるという大切な記憶です。
風邪の記録(2016)
下書きに残っていた風邪の記録があったので投下。この時から2年ほど経ちますがこの時よりひどい症状は出てません。
2016年7月4日(月曜日)
その週の月曜日、朝から咳と鼻水が際限なく出続け、本能的に(ヤバイ)と感じたため大学の授業を休んで帰宅。その日の夜は、熱は出るし咳は止まらないしで20年ちょい生きて記憶がある中で肉体的に一番苦しかったと思います。
何がつらいって、私は普段寝るのが趣味だと言ってるくらいなのに、眠ろうとするときの心地よさが息苦しさに置き換わっていること。
加えて、眠れないので起きていると体のだるさと喉を刺すようなの痛みと息をする度苦しさを常に意識せざるを得なくなりつらい。
よく漫画や小説で「こんなにつらいなら死んだほうがマシ」と感染症や負傷により身体的に苦しむ登場人物が言っています。それを見聞きする度その人達の気持ちへの納得はできましたが、実感がないのでいまいちよくわかりませんでした。
しかしこの時心底理解しました。
眠りたいのに眠れない、体も頭も痛い、だるい、つらい。絶望。
風邪程度で何を、と言われるかもしれないですが、風邪程度でもこれまで考えていたことすべてが絶望的になります。
悪夢のようだった7月の風邪。長引いたものの何となく治ってきてひと安心したのも束の間、数日後にはまた喉の痛み、鼻水。
以降10月まで、月一回以上のペースで風邪とみられる症状が出る「月刊風邪」状態でした。
夏休み・8月の1ヶ月間は実家を離れて田舎暮らしをしていたのですが、そんな時にも風邪を引きました。最初の風邪より体は元気でしたが、喉がガラガラできつい(確か発表の場を控えていたんだと思います)。仕方がないので、現地の耳鼻咽喉科になけなしの電車とタクシーを駆使して行きました。
こうして続いた風邪は、最初のそれより全体的な症状は少なめでしたが、喉が痛み咳がよく出ることがつらかったです。
龍角散のどすっきり飴の残り個数がその日の活動時間に関わる状況。
龍角散でないとダメだったので(喉の痛みが治まらない)、袋に入ったものをまとめ買いしました。
4回目風邪の治りかけにようやっと肺炎を疑って内科に行きましたが、問題はありませんでした。
この頃くらいで長きに渡った風邪の諸症状も治まりました。目にものもらいを発症したりもしましたが、こちらはもう慣れたものだったので気持ち的にダメージはありませんでした。土日に1日並んで眼科で目薬をもらい、暫く使ったら治りました。
今考えると大学3年生という、サークルや授業が佳境に入る上就活の準備も急かされるこの時期に、私にしてはよくやったなと思います。
その後燃え尽きていた気もしますが、またそれは別の話。
だんだん歳をとり実感しましたが、健康が損なわれると生きる気力がガクッと落ちます。それのどれほどきついことか。
恐ろしく月並みですが、健康には気をつけましょうね!
研修おわり、そしてはじまり
はてなから通知のメールがたまに来るので、その度にブログの存在を思い出し書きたいことを考えていた。
電車に揺られる仕事帰り。いざブログを書こう!とはてなブログのスマートフォンアプリに向かった途端、何も思いつかなくなる。
現在の私は新入社員として、自社の研修で本来の業務外の雑用などをこなしている。「なぜ研修において本来の業務外のことをやっているのだろう」という素朴な疑問もあるにはあるが、まあ若気の至りだろうし、定時退社しているので良しとする。
約3ヶ月行なっていた詰め込み外部研修の日々に比べると、格段に落ち着いている。
ただ余裕ができた分、社内の人間関係に気を回す頭ができてしまいストレスはそこそこにある。
社内の人間全員がまるでダメな大人であれば何とも思わなかっただろう。(実際私が選ぶことのできた会社なのでその可能性も考えていた)だが現在見た限り社内に完全なまるでダメな大人はいないし、それどころか同期含め人間が出来ている人が何人かいる。
会社としては素晴らしいことだし、トラブルメーカーがいないのは何よりだ。ただし、どうしても私はそういった出来てる人を見ると、依存したり恩を売ろうとしたりするようだ。そんな自分が嫌になってしまう。
今年の4月から今まで朝と食後には胸焼けがしょっちゅうある。しかしこの胸焼けは土曜日など解放された日には起こらない。よく出来た体だ。
この胸焼けに関しては、今のところ日常生活に支障を来すことはないので様子見。また自社の研修が終わり環境が変わると変化があるかもしれない。その頃にはいよいよ本来の業務が始まるため、ストレスにより悪化しそうだが……
少し生活に余裕が生まれたため、ブログも頻繁に小出しで更新できたらいいなあ。
飲み会があまりにも苦手
飲み会が死ぬほど苦手である。
今この文章を書いているこの瞬間も飲み会の帰りの電車である。新入社員として、小規模な飲み会にお呼ばれして参加した。
会としては無事楽しく終わったと言っていいだろう。誰も会の評価などはしないが、私は心から良い会だったと思っている。
ただ私の現在の心境としては、嫌悪感と僅かな達成感しかない。他の事を考える気力もなく、ただ脳直でスマホを弄るだけだ。
この嫌悪感とは、思うように話が出来なかったこと、それ以前にうまく言葉や声を出せなかったことなどが要因にある。ちなみに僅かな達成感は、ひとまず「今回の飲み会を切り抜けた」という自己肯定だ。
要はそもそもコミュニケーションが終わっているのだろう。
それなのにコミュニケーションの活発さ、溌剌さが求められる飲み会の場でうまくいくはずはない。
なぜあの場面で言葉を切り出せなかったのか。真顔の瞬間に人と目が合った後、堪らず逸らしたことを思い出し悲しくなる。あまりに悲しくなるので深く考えることはやめよう、となる。
もう今更、終わっているコミュニケーションをどうにかできるとは到底思えない。どうにかしたいからこうしてつらつらと文章を書いているが、完全解決は無理だろうという話だ。
私が他の社員の方と話す時の雰囲気だとか、それ以前に人への曖昧で微妙な接し方は今日までの私の対応で決まってしまっているのだ。
どこかで違う生き方をしていたら、もう少し飲み会やそのためコミュニケーションを毎回楽しいと思うのだろうか。
普段から口数は多くない。人と人の仲が良いのは良いことだと思っているが、自分のことになると自己の世界を守りたい気持ちが優先されてしまうのだと思う。
私に守りたいほどの自己の世界があるのかというと、すぐには具体例が思い付かないため否定も肯定もできない。
逆に世渡り上手な人は自己の世界を持っていないのだろうか。いや、そんなことはない。 そういった人達はしっかり自分の意見や考え方を持っていて、なおかつ人にもそれを話して上手く人を巻き込んでいるのだ。
たまに自分でも余計だと思う意地を張るときがあるので、きっとそういう所なのだろう。つまり、自己の世界が変わってしまうことも恐れずにそれを表に出すことが少しは根本的解決に繋がる…と思う。
それがすぐに実行出来ていたら苦労はしないけど。
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またこれは私のどうこうに関係ない文句ですが、
アルコールを飲むような場でないと会社の様々な人と話す機会がないのはなんだかなあと思う。
「会社の大きな飲み会は、会社の(偉い)人と会話ができる貴重な機会」と言われた。現代日本ではまあそうだろう。
しかし少し考え直してみると、飲み会でないと話す機会がないのは少しおかしいのでは?となる。
アルコールを含んだ会社の偉い人は2/3の確率でお話にならない。それは酔っ払い単体で潰れたり、一方的なアドバイスモードになったり、場が宴会ノリに入ってしまったり等の事例がある。
飲み会がもうそういう「羽目を外してストレスをパーっとやる場」なら、他の「会社の人と話す機会」もあってほしいものである。 こういった会社の人との人脈形成が本当に昇進なりに繋がるのであれば尚のことだ。
それにしたって私は前述の通りコミュニケーションが終わっているので、色々と難しいものはあるが……
けんしゅうチュー!
ご無沙汰です。
無事社会人として社会に揉まれて生きています。
とはいえ現在はまだ外部研修中で、自分の会社のことはよくわからない状態です。
研修は外部開催特有の理不尽だったり何だりがあって面白いです。
面白いので就活の日記を付けた時のように日記を書こうとも思いましたが、万が一にも特定されて干されたくはないのでやめました。
この研修が終わってほとぼりが冷めたら理不尽さだけでも伝えたいですね。
死ぬほど嫌ではありませんが、毎日「早く研修終わってほしい」感情を抱えています。
現在平日多忙、土日はやや忙しいのですが、それは研修なのだから勉強しろオーラがあり、頑張って勉強してるからです。あと研修特有の毎日のスピーチの準備に追われています。
これらは研修が終わり仕事が始まっても自主的に行うとことなのでしょうが……。
あんまり今からネガティブなことを書くのもアレなのでよかったことですが、何回か文章をほめられました。
これは自己紹介で(引き出しがあまりにもなくて)文を書くことが好きと公言したこともあるのですが、それでも嬉しかったです。
あとは生活が健康的になりました。
これまで毎日のように頭痛に悩まされていましたが、すっかりなくなりました。
やはり学生特有の不規則な睡眠が悪かったのかもしれません。
しかし外部研修特有の自社からのプレッシャーをかけられるので胃は弱りました。コンビニで買える胃に優しい食べ物があればご教示ください。
ではまたどこかで
就職活動2017の感想・時系列で(2016年〜2017年2月)
私の就職活動ははっきりと言えばぐだぐだだった。ただ自分では8割納得しているのでもう別にいいかなと言う感じである。
すでに記憶が消えつつある中、今を逃したら機会ないと思い以前途中までメモしたのを走り書き追記してまとめました。
就職活動2017と書くとまた就活するのかと思われそうだけど、今のところは違う。ただ私が一定の場所(企業)でウン十年やっていけるかは怪しいので転職しそう。
- 2016年11月〜12月頃(大学3年次)
この頃からやたら学校の就職課から「就活準備を始めましょう」と催促される。どうやら私の学校は例年企業の採用担当からの評価が良くないらしく、学校の評判のためにも頑張っているのかもしれない。それもなんだか的外れというか、そういった態度の方が学生のやる気を削いでいるんじゃないかとも思うが。
ともかく私は言われるまま様々なイベントに参加していた@学校。単純な業界の説明プレゼンだったり、または企業のお偉いさんとOBが講演をしていたり、はたまたグループディスカッションや筆記試験の対策講座を受けたり等々。こうした就職課主催のものは一回完結で長期的に渡り何回も行われていた。それは司会や設営をする就職課の人たちも大変そうだ。そういえば面接の練習講座もあったが最後まで結局行かなかった。
師走にはナビサイト主催の無料の就職準備講座みたいなものにも走り回って参加した。準備イベント入場のため長蛇の列に並び、コートは脱いで内側を表にした状態で待機。「年が明けたら就活スタートまで秒読み」。気持ちだけは固まった気がした。帰りがけにはナビサイトのキャンペーン宣伝、新聞購読の申し込み受付用紙の配布、お土産は主催企業のロゴが入ったノベリティ。どっさり。
クリスマスの日はあまりに暇だったためプレ合同企業説明会(一応就活未解禁しのためイベントタイトルがぼかしてある)に半分冷やかしのつもりで行ったが、学生は少なめながらも想像よりたくさん居た(女性割合が少なめだった気がした)。さすがにクリスマスの休日なのだからケーキ食べてのんびりすればいいのになと思ったが、ブーメランだ。理由もなく焦っている。
この時期の就職の準備活動に意味があったか、と言われると微妙なところではある。一応やらないよりかは経験していた方が様々な事情が知れて良かったが。
今振り返ると年明け前の時期でも採用活動を始めていたり限りなく近いことをしている中堅企業もあるのでナビサイト経由の情報のみを見るのでなく普通に検索するべきだった。
この時期は就活より学校の卒業単位をしっかりと取るほうが大事です。就活が活発になる春から夏はなかなか学校に来れないため単位が取りにくく、秋以降は卒論もあるし極力必要単位数を減らしておいたほうが良い。という訳で全力を尽くして単位を取りに行ける最後の期間だから。
- 年が明けて2017年1月から2月
いよいよ年が明けた。しかし私はまだ気持ちが乗らんと言い訳をしながら、内心働きたくないでござるという感情でダラダラしていた。なんとなく1日か2日で終わるインターンには行っていたものの、就職活動はまだ遠い先のことだと思っていた。優秀な学生ではこの時点で内々々…定していたということを約3ヶ月後に知ったのでもっと早くやっておけばよかったなあという月並みな感想はある。
この時期はどっちつかずで大好きなコンテンツの大事な大事なライブも三日間あるうちの1日だけしか行かないという謎の自粛行動をしていた。結局その1日以外も家でぼうっとしていた記憶がある。自分でも意味がわからない。つまりは自分でも確かなはずの優先順位(この場合ライブ>その他多く)上で就活は例外だと思っていた。就活は確かに進路を決めるという意味で最重要ライフイベントであることに間違いはないだろうが、本当に就活の一つひとつの作業全てが最優先ではないのだ。この辺は受験戦争で趣味の時間をカット、仲間や家族との時間もカット、終いには睡眠時間もカットして勉強最優先だった名残があるのだろうか。一般的にやればやるほど解法が身につく受験勉強と、そればかりではない採用試験対策の差か。ここで私も迷走し切ったと思ったのだが、なんとこの3ヶ月ほど後も迷走する。
あとこの辺りが新聞社の採用活動が始まったか始まりつつあるかのタイミングで、本エントリーせず終い。かつてはそこそこ記者や編集者になりたいと考えたこともあったはずなのだが、ここでエントリーすら遠慮しとこうと思ったのでその後も出版社やメディア系企業は一切受けなかった。プレ説明会みたいなものに参加した際、新人記者の働き方が精神的・肉体的にどう考えても私には無謀であると知ったことが主な理由である。また広くメディア系企業の雰囲気が私にそぐわないだろうとも判断したが、これは私の偏見まみれであると信じたい。私は大学で雑誌系のサークルで、そのサークルは雑誌系らしからぬ雰囲気で私にとって過ごしやすかったのだ。そもそもメディア系と一口に言っても今や系統も規模も守備範囲も様々だろう?
▼長くなったので2017年3月以降は続きます。
20180126
3日前に降った雪がまだまだ積もっている。
久しぶりの一面の雪はあたりを真っ白に照らし、眩しい。
期末試験なので余裕を持って学校に来た。
いつも使っていたPC教室は試験期間のためか使用不可になっており、敷地内に3つある食堂のうち最も空いているだろう食堂で試験までの時間を過ごすことにした。とはいえすでに一通り講義の資料を眺めることは済ませていたので退屈だった。
暖房が効いている上に西日が差し込みつつある食堂は少し暑いくらいで、他の学生も集まって試験勉強をしていた。集まって勉強をするくらいだから、きっと私より下の学年だろう。一学年次に必修だった第二外国語の話もしていた。かつてはこのような場所に居合せると鬱陶しいとも思っていた。しかしあと数日で学生生活を終える身としては、ただただ微笑ましいし羨ましい。
こうした食堂の賑やかな空気を噛み締め勉強や読書、スマホを見たりしていたら時間はあっという間に過ぎた。
食堂が短縮営業中のため16時に追い出されたが、試験の時間まで準備時間も見ればもう少しだったので試験会場の教室へ向かった。
20180126