もっと自分なりに生きるのはダメですか?―「普通の大学生」になるのは、やめよう
風邪をひいたことがきっかけ?
風邪を、ひきました。
それも寝込むような風邪です。軽い風邪で2・3日鼻水が止まらない、なんてことはあったのですが(それでも年に1度くらい)、寝込んだ記憶は中学生の頃以来ないので、多分5年以上振りになります。
結果大学のほとんどの授業は休み、家で休息をとる数日間を送りました。
無駄に健康体な私にとって、この事態は非常に珍しいことでした。
病状が回復した今だから言えることですが、この状況はある程度現状を見直す機会になったと思います(もちろんほぼ寝ていたので休む意味以上ではないですが)。
私の現状、というのは所謂「普通の大学生」のようなこと。所詮「ようなこと」なのでアレなんですが。
家から大学への通学中以外、人と居る予定が詰まっているような。
一週間で毎日家から東京へ出ているような(私は東京まで1時間強はかかる地域に住んでいます。また、高校生時代は土日のどちらかは家で一日中ごろごろしていました。)。
例えば午前中から夕方まで大学の講義に出る、昼休みと放課後はサークル活動に精を出す、休日はバイト、たまに就活のためのイベントに足を運ぶ。などなど。
私は入学当初からもともとこの「普通の大学生」像に疑問を感じていました。
- いつも人と居たら自分の時間が取れないのでは?
- 一週間毎日外出していたら疲れて病気になるのでは?
- そもそもそんな過ごし方は私には合わないのでは?
しかし、現実を見てみるとこういう大学生は周りに多いことがわかってきました。
同時に、そういう大学生は毎日が楽しそうで、勉強*1にも励んでいることも。この事実は非常につらいものでしたが、上を見てもキリがないため自分の伸びしろを伸ばすしかないと思いました。
「普通の大学生」は普通の大学生たる日々の行動をしているため、持つべきものを持っています。無いものねだりかもしれませんが、私にもそれらがほしいという願望があります。
それなら「普通の大学生」の行動を一丁真似るか!健康は無駄にあるし!
――と私が心から思ったかどうかはさておき、学年が上がると適当に人と何かをする機会は増え、土日も学校に来ることもありました。
確かに、そうなんです。
人と居て、話したりしながら何かをするのは楽しかったです。外に出ると見られている感覚があるのでやるべきことが片付きやすかったです。
更に、そうして詰まった予定が次々と迫ってくる感覚はドキドキと、ワクワクがありました。
そんな感じで暫くエキサイティングに過ごしていましたが、やはり疲れはありました。胃腸は一年前に比べ悪くなったと思います。帰宅が夜遅く夕食も遅くなるためです。
大学3年生になると、その傾向は加速していくようでした。
サークルでの役割がドンと増えたり、就活に向けて情報がバンバン出たり単純にやるべきことが増えたんだと思います。
そこで現在(先週)の、風邪をひいたときに至ります。キャパオーバー、―自分で処理できる範囲・規模を越えてしまった―が来たのでしょう。
大学生活、本当にこれでいいの?
そうしてもう一度、風邪の頭で自分の日々の過ごし方について考えてみました。
自分はこのまま、こういう過ごし方でいいのでしょうか?
結論から言うと、「普通の大学生」の生活はやはり私には相容れない部分があるのだと思います。
この時期*2に風邪で3日間寝込み、その間のあらゆる予定が潰えたことは非常に痛手です。手っ取り早く言うと、予定のアポを取り直したり大学の勉強を挽回することに苦労しました。
それはつまり、何かがあったときにどうにかする時間、言うならば予備日を持っていなかったということです。
人と何かをやっていこうというときに予備日を持たないのは、ダメでしょう。
自分に責任があることでバカになるのは結構ですが、他の誰かにも影響が及ぶことは余裕をもって賢く取り組むべきだと思いました。
よって一週間毎日人と会う予定があるのは控えて、一日は予備日を設けたいです。
この予備日には上記以外にも様々な意味づけがあります。
- (課題・予定キャンセルなど)何かあったときにどうにかする日
- 寝溜めの日
- 家にこもることで精神的に休む日 など
また、大学の2年間を通し自分の中で確立していたことが崩れていく――そんな違和感がありました。
それは下記のようなことです。
- 授業は全部ちゃんと出る、ましてや好きな授業は全力で。
- 自分のためにもレポート課題には時間と労力をかける。
- たまに一人で突拍子もなく気になる展覧会や映画を観にいく。
- ネット記事を片っ端から読む。
- 電車内ではkindleで本を読む。
- (週一日は家でよく休む。)など。
なんてことのない日常の些事ですが、こんなことでも私にとっては大事にしたいことです。
先週体調不良になるまでこれらのことをしている場合じゃなかったり、眠気が意欲に勝てなくなったり(講義中はよく気を失っていました。)で、ないがしろになっていました。
しかしそれはやはり、精神的にも厳しい。
ダメでした。レポート課題を軽くこなしている自分に気づいたとき、自分がこれまで築き上げたことがガラガラと音を立てて崩れていくようでした。自分で見ていられませんでした。
人は絶えず変わるものだろうけど、私はこれらの生き方は自分でも好きだから、変わりたくない。そう強く思いました。
もしかして、もっと自分が生きやすいように生きてもいいのでは?
前述のとおり、私は「普通の大学生」が持っているようなものにあこがれています。
それは、人とのつながりの広さ・深さだったり、楽しいこと・つらいことをたくさん体験したという経験だったり、若さだったり、鬼忙しいことへのドキドキ・ワクワクだったり……。多分まだあります。
でも、それは「普通の大学生」のような生活をしていなければ手に入らないのでしょうか?
今あげたものは本当に全部、自分のもともとある生き方を殺してまで手に入れたいのでしょうか?
そんな発想が出てきたとき、少し肩の力が抜けました。
どんなふうに人とかかわって、予定を入れて、実行していくのか?、というような細やかな生き方は自分で試行錯誤していいのだと思います。
一つのやり方があまりにもつらかったら、他の方法を模索すればいい。
ロールモデル、つまりお手本になるような像は持っていて損はないです。
しかし自分のなりたい方向は、自分で程度を調整していいのだと思います。お手本自体になる必要はないし、実際なれっこないことは誰でもわかっているはずです。
「普通の大学生」になるのは、やめよう。