suimin-ing-days

一に睡眠、二に睡眠、三、四睡眠五睡眠

5年後の自分へ

ブログを書くのもなにやら久しぶりになってしまい、気がつくとブログを始めてから1年経ちそうだ。

去年は大学二年目なりの授業とサークルの忙しさと、不全感と人生への不安を持ちながらもなんとかやっていたんだと思う。

今は、それなりの忙しさと迫る就活への不安、相変わらずの不全感に、人生へのあきらめと言えるような気持ちを抱きゆっくり歩いている。

 

この人生へのあきらめは決してネガテイブな方向のみでなくて、

「今後もなるようにしかならないし、できることをすれば相応な場所で生きてはいける(だろう)」というやや前向きな気持ちととらえている。悪く言えば自分の限界を決めてしまっているのだが、どこかで一旦自分の能力を決めないと落ち着くところにも行き着かない、と思う。

余談だが「あきらめ」の語源は「明らかにする」なので、何ができて何ができなくて、そして人に任せるのか明らかにするという意味でも決して後ろ向きばかりではないらしい(出典の書籍を忘れてしまったが、見当はついているので追記する。)。

 

5年後の自分はどうなっているのか見当もつかないが、不慮の事故や病院がない限りまだ生きているだろう。

今学校で取り組んでいるような雑誌作り、物書きや編集にかかわる仕事をしていたら学生時代の私も浮かばれるだろうが、別にこだわりはない。

正直今の私からしたら、何かしら仕事しているだけですごいことだと思う。仕事をしていなくても、あれから5年生き続けたこと自体がすごい。

まあなので、これからも何か気負ったりせず楽しく生きてほしい。

懸念点と言えば、親の生きる理由が私になっているんじゃないかと気掛かりではあって、そんなうちに私の生きる理由も親のためになってそうなことだろうか。

現在の持論としては、残念ながら人はいずれ死ぬので(それまで親が私に想いを馳せるのは勝手だが、)余生はのんびり自分のおいしいものを食べたり好きな事をしたりして感じる幸せを噛みしめ過ごしてもらいたい。多分その時期私は私で仕事の上にやりたいことが沢山あるため、あんまり構うのもよしたほうがいいのではというのが今の考えだ。

 

あとブログもろもろにかんして、私は暗黙知が真っ当な形で世に出たときは共感・評価されるという可能性を信じている。それは「こんなのあったらいいな」が商品化したときかもしれないし、うまく言えなかった不安の愚痴文章に対しいいね!やスターが付くときかもしれない。つまり言語化・明文化するのが難しい(或いは面倒くさい)ような気持ちが文章になっているに価値を感じる。なので、私はそういうことが沢山できる人間になりたい。 これは今の気持ちなので5年後には変わってるかもしれないが。

 

段々長くなってまとまらなくなってきたのでこれくらいに。5年後は頭の中で考えている(話している)ことが出力できる技術が発明されていたらいいなあ。

 

はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第2弾「5年後の自分へ」
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