suimin-ing-days

一に睡眠、二に睡眠、三、四睡眠五睡眠

社会人1年目の感想

気が付いたら社会人になって1年が経ってしまった。

そこでこの一年間を振り返ってみようと思う。正確には4月から半期はほぼ研修だったから半分は研修の振り返りになってしまうのだけれど。
理由。いったん書いておくことでこの気持ちや今感じていることを後まで残しておきたい。書くことで区切りをつけて、またやっていきたいと思うから。

社会人はあまり区切りがない。一応年末だ年度末だ異動だ、月次資料を書いたり人事考課を受けたりしてはいるけど、そこで何があるという訳でもない。この流れで3年、5年、10年と一瞬のうちに過ぎ去ってしまうのが怖いのかも。

 

・「仕事をしている感覚」があまり無い

今の仕事はIT関係、職場は客先常駐、内容的にはプログラマ、テスター、システム保守要員といったものです。作業はしてるし時間分の疲労もあるんだけど、これでお金もらってていいのか?とふと思ってしまう。現在そこまで大変な業務もなく、スケジュールも余裕があって残業もしていないからかな…。
ただそこまで罪悪感というものは無く、はてな?不思議だな~という感じ。

大学生の頃1か月インターンでふらっと地方の小さな企業に居させてもらったことがあって、その時の感覚に近いなと思った。その時は業務!というより取材と提案と庶務の雑用をやってて、他の社員さんは各々の仕事をしてたので不思議な感覚でした。それは元々インターンの業務内容がそういったものだったのでそんなもんだと思ってたけど。

こんな感じで大学生の頃から引き続き実家生活なのも相まって、社会人としての意識~とか引き続き全く分からない。腕時計は面倒でも着けとくとか?着けてきてないですが…少し良い腕時計が欲しいと思いつつ優柔不断発揮して買ってない。
就活してたとき結果として行きたい企業には落ちまくったものの、就活留年はせず今の所に妥協した。そのときの言い訳が「箱入りなんだから、多少無理にでも早く社会に出ておいた方がいい気がする(あと留年する程行きたい企業もない)」だったので何だかな~という感じ。この言い訳の「社会」ってのも今思えば曖昧だな…。
そもそも仕事って何なんだろう、少なくとも私にとってどんなことだったら仕事だと感じられるのかがよくわかってない。私は仕事に対して勝手に崇高なイメージを持っていて、そのイメージのアップデートができていなかったんだと思う。今時リアルな仕事の様子なんて漫画で描かれているものも多いし、就活でいろいろな職場の仕事内容も聞いたりしてたのにね。

仕事が何なのかよくわからないけれど、逆に今の仕事も仕事と呼べるなら、もっと他の楽しそうなことも仕事にできるんじゃないかなあとか考えてしまう。今の仕事がまったく楽しくないわけではないけど、頭にはてなマーク浮かべたまま仕事するのって少し疲れてしまうから。自分で仕事を選んだら少しはこの違和感も変わるかなあ、とか。
とかのたまっている間に忙しくなって、あれこれ考える暇も無くなるのかもしれない。それはそれで仕事が忙しい、という状況を体が若いうちに体験しておきたいので望みとあらばお受けしたいですが。

・取って食われはしないけど

社会人になると、部やチーム内でまさに「取って食われる」と思っていた。研修が終わり常駐先が決まったときの私は「命日が決まったな…短い命だった」くらいの心持でした。新人へのいじり、いびり、様々なハラスメント、終わらない仕事を投げられる等々…そうでなくとも話が長いおじさん・おばさんくらいのしょうもない人はいるんだろうと予想してかかっていた。妥協して入った会社だし、新入社員ならば仕方ないとさえ思っていた。
しかし蓋を開けてみると、そんな人はいなかった。それどころか普通に人間としても同僚としてもいい人ばかり。驚きだ。そんないい人たちが何でこんな所で収まっているのか、もっといい待遇の所に行けるんじゃないか…と度々思う。これは入社同期の社員に対しても同じことを思っている。
そういう訳で、ある意味一番心配していた職場の人間関係は想像してたものよりずっと健全だ。ただ自分自身の問題として雑談が苦手、コミュニケーションの仕方に悩みすぎることが災いして、頻繁に自分で自分に失望して気持ちが落ち込んでしまう。自分で勝手に落ち込んで精神を摩耗するという、全く意味のわからない状況だが本当なのだ。その分、少しだけうまく話せたと思う日は気分がふわふわして、これはこれですぐ浮かれるのもどうかなと思う。

 

suimin-ing-days.hatenadiary.jp

 あまり書くとまた気分が落ちるのでこれくらいにしておくけど、「何気ないコミュニケーション」は私にとって一生の課題なのかもしれない。

・「仕事は仕事と割り切る」と決めた研修の終わりと、その後

書いていて思い出したが、みっちり外部で行った新入社員向け技術研修の最後のまとめで「仕事は仕事と割り切り、締め切りを守り仕事をこなすこと」を宣言したのだった。
上記の趣旨としては、「仕事は(個人の成長が目的ではなく、)求められた成果物を限られた時間で出すことが目的なのだから個人の感情(こだわりや好き嫌い)は切り分けるべき」ということだったと記憶している。研修で厳しい締め切りやまとまらないチーム開発をやり切ったからこその宣言だなあと思う。だからかあまりにも強くて、今の私にとっては当てはまらないかもしれない。
実際この趣旨を適用できるほどの状況にはなっておらずよかったと思う一方、文面だけ見た「仕事は仕事と割り切る」はあまりできなかった。仕事を終え帰宅し、シャワーを浴びているとき。眺めるものもないので考えを巡らせてしまう。あのプログラムはどうしようか、あの人と話したときもっとうまい返しがあったなあ、来週は知らない作業が始まるから気が重いな…みたいな。心の中はいつだって自由でありたくて、何なら業務中に全く別のことを考えていたいくらいなのに、これではまるでだめだ。いや、だめだと思うのもあまりよくないとわかっているんだけど…。
引き続き文面だけ見た「仕事は仕事と割り切る」を何とかしつつ、恵まれた周りの人を観察してもう少し自分をいい方向に変えたいなあ。


・時間が無い/無い時間の中で充実を求めるようになった

社会人は時間が無い。知っていたけど、本当に時間が無い。というより体力が無いと言うべきか。
仕事帰りにどこかに寄ってく気力が無い。というか展覧会や小さな店などはすでに閉まっているところも多い。定時で帰っても食事と風呂と翌日の準備を済ませたころには瞼が重い。では通勤時間を活用しよう!と思って本を読むものの、いつの間にか意識を失っている…。
もっと体力があって仕事終わりも気力が残っていて、睡眠時間を削っても翌日の業務に支障をきたさない体だったらよかったなと思う。そんな人は…見たことあるけど、忙しく年中風邪っぴきでギリギリで生きている印象だったからやっぱり難しいのかも。
そういった時間の限られた生活をしていく中で、大学生活で慣れきったたぐうたらは少し改善されたかもしれない。できる準備は早めにしておくとか、帰宅後の食事風呂の間のぐだぐだ時間を減らすとか…。土日の有効活用はまだまだで、相変わらず夕方まで寝てたりするんですがたまには昼に起きて縦になっています。これからもそこはがんばって善き休日を過ごしたいですね。

とりあえず仕事関係で時間が無いけどやりたいこと。Java Silverの資格を取りたい。受験料がちょう高いので参考書2冊買ってスローペースで勉強しているのに申込に渋ってる。いや本まで買ったなら受けよう!受けます。落ちても1回くらいは粘ります。
あとWordPressやってみたい。WordPressって流行ってるテンプレが決まってるのか何なのか見てすぐわかるし「いかがでしたか?」構文の温床になっているイメージがあるんですが、実際どうなのか触って確かめたい。ここの規約的に×××な話題も書き残したいし、研修で暇してた時にAWSWordPress載せるのやってたら仮想サーバー構築とか面白いなーと思って。夢は広がるなあ。

さてまだ月曜。週5フルタイムで働くことなく社会的・金銭的にどうにかなるような世界を願いつつ。