suimin-ing-days

一に睡眠、二に睡眠、三、四睡眠五睡眠

話をする友達がほしい

私はもう所謂リア充にはなれないのだろう、と大学生になってから確信した。

なぜならそれでもいいやという諦め、緩やかな満足感があるのだ。

 

 

でも友達はほしい。

私が今年に入ってから5回くらい言ってる「成長し合える仲間」っていうやつだ。もっとざっくり言うと何でも話せて、ノリでご飯行ったり遊びに行ったりして、方向性が合致したら一緒に何か作り上げたりして(身近にモデルがいるのでこんなだと感じているだけで、自分だったら前二つくらいで十分そうではある)。

かつてはリア充のこととおんなじで、もう私はそこまでの友達はほしくないし、そこそこ一人で生きていくんだろうと思っていた。たけど、そうでもなさそうだ。

具体的行動に移す気力はないけど、友達がほしい。

その瞬間になるともういいやってなってしまうけど、友達がほしい。

 

そもそも私は高校2年生の後半から「友達をつくるのは、楽しさに対して苦労が大きすぎる」と判断して進んで一人を選んでいた。超雑に言うと神経質な性格だから人と仲良くするのは常に何かを考えながらで、楽しさより辛さが勝ってしまう。
そのときの判断はある意味正しかった。高校3年にもなると受験でろくに行事もなくなるので「はーい、今から二人組でこれしてもらいますー」

はい、二人組つくってーとは (ハイフタリグミツクッテーとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

もなく、昼食を早弁して昼の長い休み時間は図書館で勉強をしていたし、そもそもクラスメイト同士の会話も減っていってたから一人でいることに負い目を感じることもなかった。自由で気持ちがよかった。まるでやりたくもない文化祭の準備が終わってさっさと帰れるときのような、解放感。自分の好きな風に動けることがこんなに心地いいなんてしらなかった。しかも、それに対して先生やクラスメイトは何も咎めなかった。
もちろんたまに寂しくなることもあるにはあったが、その度に「今から本気で友達をつくりたいと思うほどの勇気はない」と思い直し、諦めていた。

大学に入ると年中固定のクラスはなくないので、気が楽だった。少ないながらも普通に昼休みを過ごす友達はできたし、サークルでもなじむことができたと思う。
高校2年生の頃あんなにもがいて空回ることすらできず、引きつった笑顔を見せながら居場所を探していたのがバカみたいに楽だった。その後空回りサイクルを回す人と化すが、それはまた別の話。

 

友達がほしい。

なぜかと言うと多分、すごく話をしたいんだと思う。

そのために今の大学の友達でももっと物理的に長く一緒に居たいと思う。他の、知り合い程度の人でもその話もっと聞きたいなーというのがあるので仲良くしたいと思う。

思うんだけど、なぜか「ここだ」と思う瞬間では冷めてしまう。

「あなたも行く?」と言ってもらったとき。「ここ行きたいなー」という話の流れになったとき、エトセトラ。

何でこうなっちゃうのかを考えると、よくわからない。本当にめんどくさいとか嫌だ思ってるのか、それとも意地を張ってるだけなのか、勇気が出ないのか、恥ずかしいのか。

あとやっぱり人間なので「ちゃんと友達がいます感」、社会的価値がほしいんだろう。ただそういうこと考え始めるとコネのために友達作るの?という思考回路が表れるのであまり気にせずに過ごせたらいいなと言うのが現在。

 

きっとこの辺の、友達関係のことも結婚のことと同じで、本当にしたいと思ったら方向性を決めて恥ずかしいとか大変とか関係なく特攻するしかないのだろう。普通にしたいと思ったら相手に良く思わようとせず人に接することが近道、みたいな感じなのだろう。

この手の話題は一時期(今も)ハマって本をちゃんと読んだら面白かった。そういえばとある対談で見たことだが、ホモソーシャルな価値観を持っている方は結婚することを諦めれば結婚できる。そうだ。

 

こうして書いてたら本当に友達がほしいのかもどうかわからなくなってきたけど、

仮に今そこそこ知ってる人から「飯行こうぜー!君のおごりねw」ってメッセージがきたら尻尾振ってついてくるのでそんな感じなんだろうと思う。

ぶっちゃけ1回や2回のおごりで存分に語れるならおごるよなあ……ただどっちにしてもそこまでのハウツーが謎すぎるのでどうすればいいのか。

「話がしたい」から欲求が始まってるのって高齢者かよって感じですがよろしくお願いします(?)。

久しぶりに書いたブログがなかなか見る人を選びそうな感じになってますが、ここではいろんな文体を試したいとも思ってるのでこれはこれで。