suimin-ing-days

一に睡眠、二に睡眠、三、四睡眠五睡眠

20170516

説明会のため、秋葉原駅から御茶ノ水方面へ向かう、帰りも同様。

さすがに御茶ノ水のこのビル群には3回くらい行ったのでもう行き方はわかると思った。 そんなことはなかった。

あまりにもT字路において方向を間違えるため、目的地への方向のみ表示するスマートフォンアプリを導入した。

そのアプリのお陰でビル群には近づいたが、車用出入口ばかりで人が出入する場所が見当たらなかった。

仕方なし、GoogleMAPを起動して建物の構造を把握することで入口を探し出した。

「目的地への方向のみ表示するスマートフォンアプリ」だが、かつて話題になったため簡単に探せるだろう。

スマートフォンの充電とデータ量の減りに目を瞑れば、大変優秀なアプリだ。というか定期的に位置情報を取得しているため、充電とデータ量に言及するのはナンセンスな感じもある。

特に都内は道が張り巡らされているため、画面に示された方向の道を歩けば目的地に着くというのは適切な発想なんだほう。逆に都内でも人が進入できない道のある高速道路沿いなどは要注意だと思う。 

 

 

帰り道の途中、そういえば昨日もこの道を通ったと思った。ほぼ同時に二日連続で同じ道を通るなんて滑稽だな、とも。

記憶がないのにある一場面を体験した気がする、いわゆるデジャブを感じることは昔からある。そうは言うもののやはり自身のはっきりした記憶に裏打ちされた感覚とは違うものだ。

人通りの多い道の角という目立つ位置に、たい焼き屋。
まだ大学一年生の頃、サークルの先輩と二人でこの道を通りかかったことを思い出す。懐かしい。

たい焼きはおいしそうだななどと適当なことを考えていたのだと記憶している。
あのときは朝にサークルの用事を済ませた昼前で、時期は丁度5月と同じくらいだった。 私は空腹だったはずなのに、一緒に何かを食べようとは言い出せなかった。大学の先輩と食事をするということがわからない不安で恥ずかしかったし、勇気が出なかったんだと思う。
そのときは結局地下鉄の入り口が直ぐそこに見えたため、私はそのまま地下鉄に乗って帰ることにしたのだった。
先輩はせっかくだからこのまま神田まで適当に歩きながら遊んで行くよ、と去っていった。
その当時はわざわざ歩くなんて先輩も物好きだなと思ったりもしたが、今ならその気持ちも十分わかる。

 

理由もなく街並みを自由に歩きたくなる。

明確な目的地を意識することなく、目的地を頭のほんの一部分だけ残した状態で。

もちろん、自由に歩いたところで何かがパキッと変わるものではない。

それは自分でわかっているが、何かを変えるために、まずは頭の中をすっきりさせたいのだ。 デトックス、というものかもしれない。

 


20170516