suimin-ing-days

一に睡眠、二に睡眠、三、四睡眠五睡眠

やっぱり、池袋がすきだ。

池袋がすきだった。何でもあるから。

食、服、映画、本、電化製品、話題のスイーツ。人は老若男女、私立小学生からセカンドライフを迎えた御人、オタクからリア充まで勢揃い。

凡人なのに「普通」に馴染めていないないと思っていた私にとって、この多種多様な人々がいるから紛れることができるという感覚は救いだった。

 

去年まで4年間、池袋の大学に通っていた。

大学生活はまさに猶予期間、モラトリアムだった。今思えばもっと何かを成し遂げることができたのかもしれないけれど、何より自分が変わった感覚がある。それは膨大なモラトリアムがあったからこその変化、だからこそ今の自分が存在すると思っているので悔いはあまりない。

そんな大学生活の舞台だった池袋。お金もないから店の開拓みたいなことはしなかったし、授業の合間なんかにただただ歩き回っただけ。けれどいつからか雰囲気として馴染みを感じるようになった。

自分でもどうしてこんなに馴染むようになったんだろうかわからない。やはり時間という、どんなエリート人間にもショートカットができないものの所為だろうか。

 

今はもう大学を卒業して、池袋に行く機会はだいぶ減った。定期圏外になってしまったのもあって、2、3ヶ月に一度行きつけになった美容院へカットに行くくらい。

有り余る自由を謳歌する大学生から今や一介の社員にはなったが、池袋は変わらずすきだ。

池袋の街を歩くと懐かしさからの安心感と少しの名残惜しさを感じて、心がほどけてゆく。終わりなんてないと思うほど長く、ゆるやかだったモラトリアムの日々。そのとき過ごした場所と同じ空気から当時を思い出し、自由な大学生に戻った感覚になる。ふとほんとうに時を戻したい気持ちにもなる。しかし、そんな夢みたいなことは不可能だ。それに池袋で歩いて、呼吸をして、積み重ねた日々は覆したくない。

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ふしぎなふしぎな池袋。東武も西武も、なんなら丸井とPARCOとLUMINE、それから忘れてはならないサンシャインシティもある大都会。でも駅近くの大通りから外れたら、少しばかり店のある、人が住む街だ。目立った建物は見当たらないし、あちこちを自転車が走り回る。

自転車にすれすれでぶつかりそうになりながら、歩く。

やっぱり、池袋がすきだ。