suimin-ing-days

一に睡眠、二に睡眠、三、四睡眠五睡眠

2015年の振り返り

 年末にうじうじと書いてた去年の振り返りです。
大学で2年過ごしていろいろあったので書いてみようと思い立ちましたが、書き始めると長い長い。正月を迎え三が日も過ぎ、そろそろ年始の気持ちに切り替えて課題に目をやらないとまずい・もうなんとなくまとまったのでアップします。

 年始から何と重いものを投げていくんだという感じですが、良ければお付き合いください。基本的にそんなに説明いらずの文章にしたかったので抽象度高め。

 

 

  • 「やらないで後悔するより、やって後悔したほうがいい」を繰り返した一年

  行動だけみると去年よりいろいろやってみた。特に後期(秋学期)は"動いた"印象。

 1年次の春休みは死ぬほど暇だったけど、その暇さを返してほしいくらいやりたいことがあって。やりたいかどうかは微妙だけど、とりあえずやってみよう!やってみたら楽しいかもしれないし!と思えるようになって。
具体的には新しいサークル、某研修向けプレゼンのトレーニング(そのまま。ミニバージョンを本学で体験できた)、フィリピン短期留学、後期のアクティブラーニング型授業、ミュージカル、映画鑑賞、などなど。

 やってみた分、うまくいかなくて恥ずかしさやみっともなさ、ふがいなさに目を覆いたくなることもあった。
今後はできればそういったことにも完全に忘れ去るのではなく、内省してその経験を昇華してから忘れるようにしたい。

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↓ちなみに、直近の失敗ついて内省

  • 年末の発表

 要は準備不足、だろう。+αで発表する感覚を忘れていたこととか、そもそも慣れていないとか。自分は土壇場でできるわけがないとわかっていたのに、謎のロジックで(もう考えることも嫌だし)途中から何を言おうか考えまとめることを放棄していた。

 一応発表直前に途中まで考えを巡らせていたけれど、いつの間にか「どれだけちゃんとしたものを言うことができるか、ウケがいいものを言えるか」といった思考回路にすり替わっていた、ような気がする。正直そのとき前の人の話も聞いていなくちゃだし、緊張していて、記憶が途切れている。
ここでしたのはあくまで自分の目標・それを達成するための行動計画の発表。そのためにこの限られた時間で考えるべきだったことは(目標は決まっているので)行動目標をぱっと定めて、よりわかりやすく伝える方法だった。

 客観的な立場に立つと、とりあえずスキルがないように見えただろう。ああ、慣れていないんだなあって。特にダメダメだったのはテンポと締め。この辺は慣れさせる以外に対処法が思いつかないが、意識としては“思いきる”ことかなと思う。

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 こんな風に“行動”に重きを置くようになったのはいつからだったか。

 明確にはわからない。ただ、大きなきっかけとなったのは某研修向けプレゼンのトレーニングとサークルで権限を持ったこと、アルバイトの記事執筆における一連の取材においてだろうか。
特に1つ目は「一歩踏み出すこと」に当日ギリギリまで迷ったのをよく覚えている。でも実際に参加してみると後悔も悲しみもなかったし、むしろ少しのドキドキと達成感?が強く印象に残って、少なくとも参加してよかったと思えるものだった。
後ろ2つはとても忙しいタイミングだっただけに、改めて自分で行動を「宣言すること」、「選び取っていくこと」、「試行錯誤すること」みたいなものを考え直すきっかけになった。

 

 年末だから「“結果”残せるような行動をしたか?」と問う、答えはNO。

 自分の行動は当然他人に影響を与えるから、それが結果的に少しは功を奏したことはあるかもしれないけど、「自分は何を成し遂げたのか?」と自問自答しても私は何も言えない。
それでも、正直今年はいいかなと思う。それよりも兎にも角にも私には経験がないから、行動を起こしていろいろな経験を積むこと。今年は上で述べたようにいろいろやってみたけど、まだまだ足りない。

 

 という訳で、2016年もそのスタイルは変えずにやっていく所存で。
以下については後ろで詳しく書くが、“正直”になる、「自分の人生を生きる」がスローガン。
さらにこれで自分のやりたいこと、なりたいものが見つかれば大成功かなと。来年度は3年生ということもあって結果も見ないといけない…が、まだ自分の中で納得できていないので保留。

 

 

  • 「他人の人生を生きるな」という耳覚えのある言葉

  しかし相変わらず「他人の人生を生きる癖」、もっというと「親先生周りの友人先輩に責任を投げる癖」、「言い訳逃げ癖」、「主体性の無さ」が目立った。

  一応 最低限「他人の人生を生きる癖(他人が言うことに思考停止で従うこと)」はしないよう、いつからか意識して行動することはできていたと思う。

 一方、好きなことを好きだと言う、提案をする、宣言する、「ちゃんと」周りを巻き込むということはまだまだだ。これは後期のグループワークをはじめとして、今年最後の日までずっと悩んで、ハッとさせられて、考えた課題だったと思う。

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理由と対処法については

  • まず好きなことやこだわりがない、わからないから頑張れない(経験をしよう、リスクは負おう)
  • 長めの目標がないから頑張れない(リスクを負って指針を作ろう、直してもOK)
  • 勇気がない(周りは受け入れてくれると信用しよう、失敗しても問題はない、後期授業の班の人たちには本当に感謝している)

あたりだろうな、という結論になった(ここまでわかって今一ピンと来てないので、もう一度考え直す必要はありそう)。

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  • 「お互いに成長しあえるような関係」という目標

 「卒業までにお互いに成長しあえるような関係を作る、保ち続ける。」みたいな目標を立てていたことを、書いている途中で思い出した。

 1年生のときだ自分の卒業までの目標を立てる、という最終課題があったからだったと思う。そして最近の同じような授業でもそんな目標をしばしば書いていた。
ここでいう「お互いに成長しあえるような関係」は信頼関係の上でお互いに思ったことを言いあって、切磋琢磨していくような関係。

 単純にそういった信頼のある友情への憧れがある。よくつるんで何でも話せて、くだらない話もするけどまじめな話もし合う。
例えて言うなら、ゼミが始まって最初の活動の○○班みたいな感じだろうか(ノンゼミなのでわからない)。

 そんな関係で物事を進めると、長期的に結構うまくいくと段々身をもって気づいてきたからよく出すようになったのだろう(その割に年末は「主体的に動く」という行動だけしか頭になかったけれど)。

 社会に出てからのことをぼんやりと考えても、それにできるだけ近い関係で仕事をしていた方が楽しいしきっと生き生きワクワクするよね、ということ(アルバイトで記事執筆のためにいろいろ交流して気づかされたこと)だろうか。

 

 さて当初はこの目標だけ独立していたけれど、それも違うと思い始めた。

 これは“状態”なので多分目標というよりそれに付属するもの。欲しいと足掻くことは大事だが、それだけに囚われてしまう本末転倒のような……。
似たようなものとして「幸せになりたいと思って何かをする人は幸せになれない。」、「何かを成し遂げて、それにくっついてくるものが幸福だ。」というようなことを聞いたことがある。

 私の考える「お互いに成長し合えるような関係」には自分も相手も「自分の人生を生きて」いる。だからお互いによく知っていて、何でも話せて、ゴールが共有されていて、信頼関係がある。
つまりさっきの「“正直”になる、『自分の人生を生きる』ことをスローガンに生きる。」ができればこの目標の2/3は達成したようなものではないか。

 あとは運や、相手や、私の他人に対するモチベーションみたいなものに因るだろう。後々捉え方は変わるかもしれないが、もしかしてこれって「面倒でも一緒にいていろいろ言い合えることは楽しい!あとお得!」と思えることが肝なのかもしれない。
表面だけの交友関係は比較的簡単にできるが、「お互いに成長し合えるような関係」は作るのも、維持するのも面倒くさい。
それでも自分を動かしていくためには、ある程度理由がなければいけない。こんな展開になると倫理的に「お前は人間関係に損得を求めるのか」って感じだが、ここは突き詰めてもキリがない気がするのでこれくらいに。

一応メモ程度に、多分社会に出ていったら人間関係は変化していくものになる。
だから強いて目標とするなら「お互いに成長し合えるような関係」をどんな人に対しても早く築ける能力があればいいのかなあと。

 

  • まとめ

 某大学某学部2年。もともと入っていた珍しい部類のサークルと今年度入った某サークルと。実家は少し田舎で、コンプレックス。そんな意識だけは常にあった一年間。

 1年生の頃から珍しいサークル×同じ学部の人は一人だけというような「他に無い属性の組み合わせによるアイデンティティー」を意識していた。
けれど、それはあまり意味のないことかもしれないと思い始めた。

 きっかけは私が「自分らしさが出せない」と言ったときに、Aを選ぶこともBを選ぶことも、選ばないことも自分で他にはないと助言をもらったこと。

 属性も大事だけど、結局はその環境で何をできるかを考える方がシンプルだから力が注ぎやすい。強いて言えば、そういうものの積み重ねが俗に言うアイデンティティーになると思っている。

 だから行動を起こしていこう。なんとなくやりたいことがあれば試せばいい。成功したらその喜びを忘れずに。失敗したら内省して。暫定だけどそこにまとまった。

 

 繰り返します。今年は“正直”になる、「自分の人生を生きる」がスローガン。さらにこれで自分のやりたいこと、なりたいものが見つかれば大成功かなと。来年度は3年生ということもあって結果も見ないといけない…が、まだ自分の中で納得できていないので保留(すぐに課題で考えることになりそう)。

 スローガンについて具体的に言うと、

  • 言いたいことはその場でちゃんと言う
  • 自分のやりたいことをやる
  • 暇なときに(対して楽しいと思っていないのに惰性で)ゴロゴロして悔いるのを減らす

 これは難しい。似たようなことを周りでしばしば聞くので、人類永遠の課題かもしれない。今のところ対策が「無理やり予定を入れて外出すること(作業は図書館でやる)」くらいしか思いつかないけど、この方法は長期休暇に弱い。ついでに田舎住みにも弱い。

 

 

 以上です。ちなみに、前々からブログを書いてみたいと思ってたので今は満足です。
長文は集中力を保つのが難しく苦手ですが、書き始めるとすごく楽しいと気付きました。せっかく重い腰を上げてブログ開設したし、折に触れて書いていけるようになりたいものです。