suimin-ing-days

一に睡眠、二に睡眠、三、四睡眠五睡眠

「合理的でない」頃と今と

もうすぐ成人の日。

去年は大学の先輩が振袖写真をSNSにあげるのを見て、「もうそんな季節か…時の流れは早いなあ」としみじみ思っていました。
そんな私も今年は成人式に参加する予定です。
 
 

成人式といえば思い出すことは、小学校・中学校時代の記憶。

当時の私がどんな児童・生徒だったのか。
自分でも覚えていないし、周りもあまり覚えていないんじゃないかと思う。
 
ただ私の説では人間誰しもその頃、特に中学生の頃は「イタい」。俗に言う「中二病」ってやつの一種ではと思っている。
みんなどうかしてた、お互いに。
今でも仲良くしている友達のあの子。美人聡明で有名高校に進学したあの子。みんなみんな。そして、私も。
 
なぜあの子は急にマジ切れして私の悪気のない過ちを責めたのだろう。
なぜあの子は部活のパートナーともいえる存在を「嫌い」と言い放ったのか。
なぜあの子は自分が遅れたことについて延々と自慢らしい語りを続けていたのか。
 
わからない。全く合理的じゃない。
そのときはすごくつらかったはずだが、喉元過ぎれば何とやら。
まあそんなこともあるよね。人間だもの。
そのときの記憶は”思い出”として胸の奥にしまって、今でも仲良くしている人もいる。
 
 

一つ、思い出すのもつらい”思い出”がある。

 
あの時、なぜ私は大事な場面でありえない大チョンボしたうえで、ぼんやり立っていたのだろうか。
今出来事を思い返してみても、なぜここでその行動を選んだのか全くわからない。
 
トーリーはこうだ。
 ◇◇◇ 
 
中学生のときだったと思う。
 
学年全体でいくつかの班に分かれて、舞台の上で発表をすることになった。
みんな基本的にやる気だ。なんでだ。似たような合唱祭だとやる気ある組・ない組で対立が起きたりするのに。
私はその頃から人前に立つのが苦手だし、好きではなかった。いかに手際よく裏方に回れるか。それだけを考えていた。
班は友達数人と「友達の友達」で構成されていた。友達の友達は、小さい学校だったから顔も名前も知っていた。でも背が高かったり、雰囲気がギャルっぽかったりして怖かったので自分から話しかけることは無かった。
 
私たちの班では劇をやることに決まった。ここはどうやって決まったのか、全く覚えていない。
ただ、なんとなく友達が私のよく知らない人もひっぱって、うまくやっている。
それがわかってしまって、そのときはよくわからないけどショックだった。その友達がどこか遠くに行ってしまった気がした。小学校の頃からの付き合いで、当時一番仲が良いと思ってたのに。
そう思うと、この頃から私の「他人任せ癖」は始まっていたんだなあと。
 
役割分担も、確か珍しく平和に決まったと思う。
そう、私は無事裏方になることができた。担当は音楽。舞台の進行に合わせてボタンを押す。簡単だ。考えなくても、覚えなくても、紙を見ながらできる。
 
なんだかんだで迎えた当日。
予防線を張っておくと、私たちの劇は当日ギリギリまで細かい台本を変えていた。というか台本はなかったと思う。
劇内容が結局どうなったのか、よくわからなかった。友達は忙しそうに話してるし聞くこともできなそう。
最後に音楽の確認に来てくれた友達を見たときは、ほっとした。
合図の通りCDラジカセのボタンを押す。再生、スキップ、スキップ、停止。
オチにこのトラック番号を再生。班のみんなでオチに爆笑する。
 
「タイミング、バッチリじゃん!」
褒められた。嬉しかったので、やってやろうじゃん!と少し乗り気になった。
 
学年のみんなが体育館に集まった。広い体育館ではなかったけど、一学年の人数が多くはないから余裕がある。みんな好き好きに場所を取って座っている。
私たちの班はトップバッター。
嫌な予感がした。いやいや、最初にやってしまえばあとは他の班の発表を見るだけ。むしろラッキーではないか。そう思うことにした。
私たちの班の劇が始まった。役者が舞台に出てくる。
私は舞台袖に座っている。側にはCDラジカセ。ここであの音楽を流す。次はあの音楽。とここで、ギャルっぽい子がこちらに来た。何だこの子。自分の役割はどうしたんだろう。
なんて思っていると、その子はCDラジカセの音量ボタンをいじって、ボリュームを上げた。
どうやら大きな舞台でBGMの音量は小さかったらしい。
なんだ、びっくりした。というかそうならそうで合図してくれればいいのになあ。音楽担当は私なんだから。そんな風に感じていたときだと思う。
ちょうど、班の誰かが合図してきた。「音が大きすぎて役者の声が聞こえない」。慌ててボリュームを下げる。
 
  覚えているのは、この辺りまで。
既に半分パニックになっていたのかもしれない。
ふと顔をあげて舞台のほうを見ると、班のみんながこちらを見ている……気がした。
あっ!オチの場面で音を待っているんだ!流さなきゃ!と急いであのトラック番号にスキップ。
さあ待望のオチだ、きっとみんな爆笑する―。
 
 
「テレッテテレッテレ ♪」
 
ゲーム、スーパーマリオで体力がなくなって力尽きた時のSE。
 
みんな知ってる”あの”音が、体育館全体に響いた――瞬間、さーっと空気が冷たくなるのを感じた。
まずは舞台の方から、続いて体育館全体から。
私はすぐに察した。
要は間違えたのだ。まだ劇のオチは来ていなかった。
舞台の進行はわからないけど、この状況がまずいのはわかった。
時が止まった気がした。どうしよう、どうすれば……。
 
そのとき、観客側からどっと笑いが起こった。
こっちは間違えて焦ってるのに何が面白いのか、なんか癪に障る。よくわからないけど、最悪の事態は避けられたようだった。
ちょっとだけ安心したが、まだ何が起こったか整理しきれていない。
再開された劇も他人ごとに見えてきて、そのまま舞台全体をぼーっと見ていた。
 
そんな感じで私たちの発表は終わり、すぐに次の班の発表が始まった。
なんとなく、班の人と一緒に舞台から降りた。真っ暗で、目は合わせられなかった。
そのまま班の人たちは体育館内の暗闇に紛れていった。私は合流する気もしなかったので、一人適当な位置に座った。
相変わらず頭はフリーズ状態だった。その後他の班のやっていた内容も頭に入ってこなかった。
 
すべての班の発表が終わり、みんなぞろぞろと教室に帰っていった。
給食の時間。こんな時に限って給食当番。
私は回らない頭で、とりあえずこのまま消えてしまいたい……。そんなことを思っていた。
しかし存在を消しては、私の給食当番の一員としての今日の担当、「一人ひとりに皿とスプーンを渡す」仕事ができない。謎の責任感だけはあった。
このとき「給食のおばちゃん」服に包まれた私を見て、同級生のみんなは何を思っただろう。
最初の発表のごたごたなんて忘れているかも。もしかしたら”あれ”はほんの些細なことで、そんなに大事に考えることもないのかも……。
ふとした瞬間、しかし確かに私の苗字を聞いた。
 
「固まってるじゃん。」
その声の主は、頭がよくて、顔が整っていて、サッカーをやってる。3拍子揃えた醤油顔の男の子だった。
彼が何をもってそんなことを呟いたのかわからない。
ただ”あれ”は確実に、少なくともこの人の記憶に刻まれていた。そう、クラス内ヒエラルキートップに位置するこの人の。
その事実を目の前に突き付けられて、皿を配りながら泣きたくなった。
できることならすぐにでも教室から飛び出したかった。
できなかった。ただでさえ目立つのは嫌なのに、これ以上注目を浴びたくない。
それに、ここで逃げるのは”あれ”が理由だって言っているようなものだ。
私の意地汚いプライドのようなものが、それを嫌がっていた。
 
 ◇◇◇
 
 

私の中では、その後班の人たちに謝罪をした記憶はない。

班で集まる機会もなかったのだから難しかったのだろう。

でも、頑張っていた友達。そのあとも割と変わらず仲良くしてくれた。何事もなかったかのように。
その子には、ちゃんと”あれ”を話題に出して謝るべきだったなあ。
きちんと「謝ろう」という考え。少なくとも劇が終わって、舞台を降りるときまではあったと思う。
そのあと、なぜその考えを消してしまったのだろう?
今となっては、当時の私の頭の中はわからない。
 

ただ、現在の自分に当てはめてみると、思い当たることがある。

「タイミングが合わなかったから」、「今言い出すとカッコがつかないから」、「もうだいぶ昔のことだから」…そんな言い訳をして、勇気を出せない。
 
「ありがとう」と「ごめんなさい」ができない、そんな人とは付き合いたくない。誰かが言ったのを覚えている。
しかし、悲しいことによくあることなのだ。
 
この間も、私の都合のためにいろいろ策を講じてもらったことがあった。
なのに別れ際に一言、LINEで一言。終わり。
しかもそれを言ったのは一番助けられた人1人だけ。他の人にも十分助けられて、申し訳なくて、感謝もしているのに。
傍から見たら、「なんて不愛想な」とか、「こいつはしてもらって当たり前だと思っているのか」とか言われるかもしれない。
本当にそうだ。なのになぜ。自分でも意味がわからない。
 
 
謝罪と感謝の言葉だけじゃなくても、例えば知り合いと学内ですれ違う。
ここで挨拶するか、しないか。
挨拶したとして、少し談笑するか、しないか。
私の場合、ちょっとした知り合いでもわざわざ気づいて話しかけてもらうのは、すごく嬉しいことだ。
この人にとって私は、まだ声をかけるにふさわしい友達なのかも。そう感じるから。
 
これを普通ににやってのける人を何人も知っている。
半年以上会っていないのに。私のほうは名前を忘れているというのに。相手も私の名前を忘れているかもしれないけど。
 
知り合いだけ増えて、中々私の「おひとりさま」属性は抜けない。
それには、こういう要因もあるんじゃないかと思う。まあこの半分は現状に満足してるっていう圧倒的なものがあるから、難しいところもある。要再考。
 
 
ともあれ。
「ありがとう」と「ごめんなさい」。確かに思っているのだ。それなら、素直に口に出すだけ。こればっかりは、動くしかない。
 
 
◇上の知り合いとすれ違ったときに~ということを書いていて、このツイートを思い出した。

 なるほどなあ。ドンピシャである。
 

 
つまりこういうのは才能でも努力でもなく、想いありきなのかな…?
想い。いろんな人と話すのは楽しい。仲良く話せたという事実も心地よい。
それに、たまに思うことがある。
「誰かとすれ違わないかなー」すれ違って何をするのか意味がわからないが、多分きっかけがほしいんだと思う。
そしていろんな人ともっと、できれば深く話したいんだと思う。
 
もしかすると。
自分から声をかけに行きたい!という思いより、いや無理っスって条件反射が強くて、話しかけられない。のかもしれない。
一応そう仮定して話を進めてみます。
でも結局それは一体どう解決すべきなんだろう?
それを乗り越える思いの強さ、ハードルを下げる技術的工夫、勇気など…?こんがらがりそう。
 
でもこれは声をかけるを例にして、具体的行動だ。
それならやるかやらないか、シンプル。
つべこべ言わずに「やってみる」。なんだ、「ありがとう」と「ごめんなさい」と一緒か。
案外アリかもしれない。
 
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ここで紹介したツイート。これはあくまで一部なので、ぜひ他のツイートも読んでほしいです。