suimin-ing-days

一に睡眠、二に睡眠、三、四睡眠五睡眠

毎日うどん

ここの所、仕事をしている平日の昼食は毎日うどんだ。

よくあるセルフサービスで天ぷらを皿に乗せ会計する店。ちなみに昔記事の中で丸亀製麺が最高だと書いた気がするが、丸亀製麺ではない。

 


社会人になって4ヶ月目。配属されてからは3ヶ月目。もともとあるかないかわからない程のちっぽけな野心は消えた。自分の見える範囲でまじめに、適当に仕事を続けていけたらいいと思うようになった。バリバリ社会を動かすのは優秀で大手企業に就職していった大学の同期生らに任せた。

仕事とは別に、趣味として業界知識やその専門技術を学ぶのは楽しいかもしれない。そう、私は大学を卒業したが、相変わらず知識を得ることも物事を考察することも好きなのだ。オタクだし当たり前か。

 


うどんに話を戻すと、うどんはいいものだ。比較的安価でも温かいので腹が満たされる。

職場は大型オフィス街にあるので昼食のレパートリーには困らない。地下にある飲食店街は和洋中の食事処が軒を連ね、テイクアウトの店も弁当、パン、サラダと充実している。

がしかし当然混む。昼休憩に当たる12時から13時の間に混み合う。そして微妙に値段が高い。基本500円を切らない。都内という場所代を加味してこれくらいが通常なのかもしれないが、これを平日の5日×一ヶ月前続けると社会人1年目のお財布事情的に厳しくなる。

そもそも私は食べるのが遅い。時間との戦いである平日の昼食には、おいて大盛りご飯に副菜まで付いた定食は必要としていないのだ。


コンビニや安い弁当を探して食べることも考えた。

実際外部研修でろくに時間がなかったときはコンビニでおにぎり2個とチョコラBBを摂取していた。ただ、今は自分のデスクで弁当を広げることに窮屈さを感じるようになってしまった。

またフロアの中で自分の場所は入口寄りのため、まだ一人で食べるのには少し気が引ける。

 


というわけでうどんだ。

オフィス街にあろうとうどん屋は基本カウンター席なので、一人分のスペースが広くも狭くもなく存在する。回転率は高いので席が見つからないことはない。温かいうどんをその場で、温かいまま食べられることがなんと幸せだろうか。

釜玉うどんが何と言っても美味しい。釜揚げうどんに生卵とだし醤油を混ぜたものがこんなに美味しくていいのだろうか。

揚げ玉と刻みネギを沢山乗せるとのだが、美味しい。とりの天ぷらを付けると更に美味しい。感動する。しかしさすがに毎日卵と鶏肉を摂取するのはコレステロールが高いと思い、とり天は2日〜3日に一回に抑え、釜玉うどんとかけうどんを交互に食べている。

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悲しいことに会社の事務所移動が決まっているため、この毎日うどん生活もリミットが近い。

せめてその日まで、うどんを堪能しようじゃあないか。

 

舞台 「アリスインデッドリースクール 楽園」を観て

8月某日、私は定時で職場を出て池袋の小劇場に向かった。
舞台「アリスインデッドリースクール  楽園」を観るためだ。


きっかけはツイッターのフォロワーが書いた昨年の同公演の感想記事を読んだこと。
私は元々観劇が好きな方なのもあり、興味が湧いた。

ちょうど職場から劇場が近いのもあり、プレイガイドからチケットを取った。数日後にそのチケットは完売していた。

以下、ストーリーのネタバレがあります。


■アリスインプロジェクトデッドリースクール とは

ガールズ劇団「アリスインプロジェクト」によって、曰く「デッドリーシリーズ」として上演されている。今年2018年は8年目。

aliceinproject.com

 

またこれは後から知ったことだが、毎年のデッドリー公演はサブタイトルがそれぞれ付いてはいるが特に続き物ではないらしい。

私は敢えてほぼ内容の予習をせずに観劇することにした。
往年のファンなら体に染み付いているストーリー展開。それをリアルに楽しめる唯一絶好の機会だ。
とは言えキャストや会場の確認のため、公式のツイッターやホームページは何となく見た。それらのぼんやりとした情報から、これはホラーもしくはサスペンス系、そして学園ものだと理解した。

会場アナウンスがスタッフ及びキャスト演じる役の音声でなされた後、いよいよ開演だ。


■オープニングで「勝ったな」と思った

導入、オープニングとして登場人物が言葉を交わしていく。
みなさんかわいいのだが、ちゃんと学生特有の「芋さ」があるのがすごい。
あとこれは今後の場面にも言えるが、このちょっとした場面でそれぞれのキャラクター性が伝わるんだよなあ。 

そして始まる怒涛の展開。日常が壊れる瞬間。
流れるようにオープニングテーマに合わせ歌とダンスが始まる。
正直、ここまでで一息ついたとき「勝ったな」と思った。ヒュー!やってくれたな!という感じ。
ストーリーを知らなかったので何が起きているのか本気でドキドキした。それはキャストの驚き、叫び、恐怖に震える演技の力だと思った。

そして歌とダンスにも見惚れた。素人なので何が凄いとかはあまりわからないけど、迫力を感じた。
パッと見でキャスト全員の動きの角度や止めが揃っているので、全体を一つの大きな波のように見られると言うか。遠くても近くに感じる。シンクロナイズドスイミングを見ているイメージに近い?
歌も一番奥の席まで圧が響いてくる。 

 

■屋上で繰り広げられる「ゾンビパニック物」

「アリスインデッドリースクール」は簡単にくくれば「学園」×「ゾンビパニック物」だ。世界観設定としてはよくあるパターンだと思う。
「ゾンビパニック物」。私はこの系統が好きだ。
アニメも放映された「がっこうぐらし」や、海外ドラマなら「ウォーキング・デッド」など。世界的に有名な作品を忘れてないか?とお思いだろうが、私はあの作品をまともに見た事がなかったので言及しないでおく。
現代世界にゾンビやそれに準ずる存在が突然出現し、日常が変わる。別れと新たな絆。交わることの無かった登場人物同士のサバイバル生活、逼迫した環境における感情の衝突あるいは孤独。仲間がゾンビになったとき、どうするのか─。

人同士のリアルな感情の動きにドキドキするし、何だかんだ生死について前向きに考えるきっかけになるから好きなのかもしれない。

このアリスインデッドリースクールでも、そんな場面が数多くあった。

ただ私がハッとしたのは、演劇という場のある種当たり前なドラマチックな展開に対し「死」がまっすぐにやってくるシーン。もちろん死んでしまう原因は負傷なのだが。
その女の子は静かに息をひきとる。まさに「息をひきとる」と言ったところで、僅かに発していたささやき声がすぅ……と消えてしまう感じ。
あ、本来人が死ぬのってこんなに呆気ないし、舞台の登場人物達への慈悲もないんだよなあ……とショックを受けてしまった。
私も人が死んでしまったときに遭遇したことはあるものの、つい忘れてしまっていた。


■毎年、毎公演同じ世界線を繰り返す「デッドリー」

毎年同じストーリーとは、つまりキャストや演出周りこそ違うものの、毎年同じ世界線を繰り返し上演しているということだ。
(そんな中今年は「アリスインデッドリースクール外編 最果ての星」が当作に続いて上演された。当作から続いた世界線で新たな登場人物が現れるという、当シリーズ内ではだいぶ珍しいことなのではないかと思う)

これは一定規模の劇ではある種当たり前の話だ。複数公演で場所や時を変えながら役者は同じストーリーをなぞる。
毎年同じストーリーの公演とわかっていても、こうも毎年毎公演と普通の女の子が亡くなってしまうのを知っていると、対象が物語の登場人物だとしてもなかなか心が痛む。

なぜこんな話を改めて出したかと言うと、本舞台は物語中にパラレルワールドに言及しているから。
「この非日常はあくまで分岐の一つの世界線として、だとしたら同じ時間軸で日常を過ごしている世界線もあるはず」と考察する科学部員の独擅場もある。

導入やその後世界が一変してからの平和な夜のシーンを合間に挟んだからことによって、それを垣間見た私たちも希望を求めてしまう。
そして舞台の幕が下りるとき、「また」同じだった、日常の世界に戻ることができなかったという思いが湧く。
実際私は、終盤のあるシーンでこの「日常の世界に戻ったこと」をかなり期待したし、一瞬は本当にそうだと信じた。

だがそれは、少なくとも主人公が生きている「現実」では無かった。

現実はつらい、物理的にも精神的にも。今の私からじゃとても想像もできない。

それでも彼女たちは生きている、強さを持ってこの非現実のような現実に立ち向かっている。そんな姿が輝いていました。
また登場人物同士の関係性の変化も見ていて楽しいというか、エモーショナルというか……。生死が関わっているからこそのぶつかり合いや思いやり合いの気持ちに心打たれる。
なお途中言及した「アリスインデッドリースクール外編 最果ての星」もこの2週間ほど後に観に行った。こちらも大変良いものでした。

「アリスインデッドリースクール」、来年もぜひ観劇してこの「現実」を見届けたいと思う。 

alicein.info

なお1月は「悪魔inデッドリースクール」という、またメタな視点のデッドリーを楽しめるようで。
時間さえ合えば行こうかな。

 

夏が終わった

慌ただしく汗ばむ日々も過ぎ行き、気が付けば9月を飛び越えて10月。

凪ぐ風はすっかり秋風となり、昼は心地よく、朝夕は少し冷える。金木犀の香りも漂うようになった。

 

今年も夏が終わった。

夏はなんやかんや言いながら好きだ。もちろん、命に関わる猛暑であった今回の夏でも。

明るくて、空が青くて、蒸し暑いけどその分冷たさが心地よくなる。カップに結露が付いたアイスカフェオレが美味しくて、冷え冷えの部屋に入ると気持ちいい。私の誕生日が夏にあるという理由もある。

そういえば、梅雨は早々に明けたのだった。特に関東甲信越としては最後の方は雨より暑さの記憶が大きく、気が付いたら例年より20日以上早い梅雨明け宣言が出されていた。そして6月にもかかわらず真夏日があったり。7月も真夏日、摂氏40度なんて日もあった。

さすがに頭がおかしいとも思った。5分歩くだけ、電車を待つだけで全身から汗が噴き出る。特にこの夏は新入社員研修のため地下鉄を使っていたが、混雑と蒸し暑さが掛け合わされたまさに阿鼻叫喚であった。なぜか車窓のブラインドが存在しないためギラギラとした日差しが直で入る。車両内には人の重なった熱気と元来の熱気がこもり、揺れる度隣に立つ人の腕が触れベタつきを覚える。

滝のような汗が全てを流していくため、顔や頭をいくらいじっても無駄な気さえした。それでも外界に出て行くのだからという小さな見栄でいじっていたが。

台風もやたらと日本上陸していた記憶がある。丁度帰りの通勤時間帯と重なり、もう帰っていいよと言われてラッキーと思ったこともあった。

 

今年は平成最後の年だから、平成の夏が終わってしまったこととなる。

そうか。終わってしまったんだな、というあっけない気持ちだ。夏があまりにも明るくて暑かったから、去ってしまうとそれはそれで物足りなさも感じる。

夕方すぐに空が暗くなってしまうことや、夜布団がないと寒くなってしまうことに気が付いて、誰かを亡くしたときのように寂しくなった。

 

秋の方が好きではあるけど、夏も夏で好きだ。

 

P.S.

この文章書いた時くらいから急に夏復活したのは笑いました。そんなところも夏らしいというか何というか。

インターネットの思い出

今週のお題「わたしのインターネット歴」

お題大遅刻ですがせっかく書いたので書き切りました。私が中学生の頃のインターネットとの思い出です。

 

現代のデジタルネイティブ世代には敵わないものの、私の反抗期・思春期は割とパソコン及びインターネットにべったりでした。

 

■幼少期、海外。インターネットというかパソコンの思い出

インターネットとの1番古い記憶は、幼稚園に通っている頃のものです。家族の仕事の都合でシンガポールに住んでいたときでした。

とは言え厳密にネットに関する記憶は僅かなものです。父のWindowsパソコンを起動するときに現れるウィンドウと「ピーガガガ」の音。ダイヤルアップ接続です。

海外ということもあってインターネットには繋がりにくかったのかもしれません。そのためかは定かではないですが、主にパソコンでは海外製のCD-ROMのゲームをしていました。ジャンルとしてはアドベンチャー・児童向けおつかいゲームといった所でしょうか。

母としてはせっかく外国にいるのだし、子供の暇つぶしと英語の勉強を兼ねてやらせときたかったのでしょう。

今のCD-ROMのゲームはスチル差分の切り替えなどバラエティに富んだものだと思いますが、当時も当時なのでストーリーは単一、グラフィックはガタついてたけど、よく思い返したらバグはそこまでなかったです。

追記

Freddi Fish Complete Pack on Steam

一番プレイしていたのはこのfreddie fishシリーズで、全部プレイ済みなのですが今でも購入できるようで…少し気になります。

プレイ動画みるとそこまでガタついてもないですね。

 

 

■インターネット黎明中期×オタクの好奇心=ネットどハマり

時と場所は移り小学校高学年時代、日本。

この頃から私のネット及びパソコン大好きが始まります。時代としてはちょうどおもしろフラッシュ倉庫が流行ったくらい。

きっかけはニンテンドーDSのゲーム「ぷよぷよ!15th anniversary」でした。

私はRPG以外のゲームを入手したのはぷよぷよが初めてでしたが、正直どハマりしました。

その要因としてはキャラクターボイスがついていたことが大きいと思います。

ぷよぷよのゲームの連鎖(コンボ)数に応じてキャラボイスとアニメーションが再生されるのですが、その演出は例えるならパチンコに似たものでしょうか。それがとにかく面白くて、やめられない止まらない。

冬休みと春休みは毎日隠しコマンドで強化したCOMとぷよ勝負してました。

そんな私はぷよ勝負ガチ勢に染まる一方、登場キャラクターにも本気になっていったのでした。

ポップな絵柄で、可愛いながらスタイリッシュなカッコよさがあるデザイン。派手めのカラーを使っているのにゴテゴテせずすっきりオシャレ感がある。そんな風に当時も今も思います。

 

さてさてついにインターネットが登場します。

前の話の父のパソコンは飛行機で日本に持ち帰ったときに壊れたようですが、後継のパソコンも中々古くなり動作が恐ろしく重くなっていました。ちょうどこの頃黒くてピカピカのWindows Vistaへ買い替え、憧れた記憶があります。

スイスイ動くインターネットで、私はぷよぷよのことも調べました。はじめは声優だったりより上手い連鎖の繋げ方を探そうとしたんだと思いますが、いつのまにか彼の地に辿り着いたのです。

お絵かき掲示板」へ……

キャスフィのお絵かき掲示板の、ぷよぷよ専用スレッドでした。そこには同じようにぷよぷよのキャラクターが大好きな、同年代の人たちがいました。

その人たちはパソコンで絵を描きその掲示板に投稿しており、みんな程度や方向は違うものの上手かったです。

私も絵を描くことは好きで、中学生頃までは割と本気で絵を描く仕事をしたいと思っていました。

適当にハンドルネームを決め初書き込みをしてみました。そのしばらく後には慣れないマウスで絵を描いて投稿していました。

すると、ドキドキ楽しい世界が待っていました。

好きなキャラクターの絵を描いて、投稿して、コメントをもらって、他の人の絵を見て思いのままに感想を書き込んで、誕生日には好きなキャラの絵を描いてもらって、明日も学校面倒だななどと雑談し、たまに荒らしがいたので通報なりスルーするときもあって……

そんな日々はとても刺激的なものでした。

 

ここからは早く、典型的なインターネットによるSNS交流と二次創作にハマっていきました。Twitterでも「#インターネット老人会」タグなどでよく呟かれてますね。

本当にあるあるネタなのかネタが典型的過ぎるので詳細はまたの機会に譲りますが、ハマっていった順序としては下記を緩く行き来していました。

キャスフィお絵かき掲示板・お絵かきチャット

Ameba/FC2ブログAmebaなうTwitterのようなもの)

→個人二次創作サイト、Pixiv、テブログ

Twitter

父は私がパソコンを使っていると渋い顔をしたので、この世界に居られるのは父が仕事に行ってる間。

この時間は本当に楽しくてあっという間で、自分のパソコンが早くほしいと思いました。が、当時のことですし当然買ってもらえることもなく、父のパソコンからアクセスしたインターネットと共に中学生時代を過ごしました。

 

■ネットどハマりを終え、ガラケーと共に新たな世界へ

高校に上がった頃でしょうか。

Twitterが大流行りし出すと、Amebaなうにいた周りの人たちもTwitterへ移りリアルタイムで楽しんでいたようです。

しかしやっと買ってもらったガラケーはアクセス制限を付けられ、パソコンからではリアルタイム交流できなかったため、次第にフェードアウトしていきました…

インターネットの世界に入るきっかけとなったぷよぷよですが、新作の出が遅く以前ほどの熱中もなくなりました。

ここで同時にオタクをやめられたら、今でもとっくにやめられていたのでしょう。つまりやめられませんでした。

私は本当にたまたま、ガラケー対応のソーシャルゲームにハマってしまったのでした……。

 

この頃交流していた人たちとは、今はもう話したりすることはありません。

その人たちのハンドルネームも殆ど忘れてしまったし、私がそうであるようにハンドルネームを変えている可能性が高く探しようがないです。

ギリギリPixivやニコニコアカウントは当時作ったままなので友達登録などしていたら残っているかな……?というくらい。

ただ懐かしいことはあっても、その辺の未練はもうあまりありません。現在はまたTwitterで色々な人に出会って満ち足りているし、当時は当時で充分楽しかったからです。

当時はお互い典型的中二病オタクが炸裂していたため、今更あまり刺激することもないだろうという理由もあります。

 

そんなこんなな昔話でしたが、私にとってはインターネットを通して話したり、絵を描いて見せ合ったりしてワクワクしていた時代があったということ、

そしてその交流した相手が今もこの世界のどこかにいるという大切な記憶です。

 

 

 

風邪の記録(2016)

下書きに残っていた風邪の記録があったので投下。この時から2年ほど経ちますがこの時よりひどい症状は出てません。

 

2016年7月4日(月曜日)

その週の月曜日、朝から咳と鼻水が際限なく出続け、本能的に(ヤバイ)と感じたため大学の授業を休んで帰宅。その日の夜は、熱は出るし咳は止まらないしで20年ちょい生きて記憶がある中で肉体的に一番苦しかったと思います。

何がつらいって、私は普段寝るのが趣味だと言ってるくらいなのに、眠ろうとするときの心地よさが息苦しさに置き換わっていること。

加えて、眠れないので起きていると体のだるさと喉を刺すようなの痛みと息をする度苦しさを常に意識せざるを得なくなりつらい。

 

よく漫画や小説で「こんなにつらいなら死んだほうがマシ」と感染症や負傷により身体的に苦しむ登場人物が言っています。それを見聞きする度その人達の気持ちへの納得はできましたが、実感がないのでいまいちよくわかりませんでした。

しかしこの時心底理解しました。

眠りたいのに眠れない、体も頭も痛い、だるい、つらい。絶望。

風邪程度で何を、と言われるかもしれないですが、風邪程度でもこれまで考えていたことすべてが絶望的になります。

 

悪夢のようだった7月の風邪。長引いたものの何となく治ってきてひと安心したのも束の間、数日後にはまた喉の痛み、鼻水。

以降10月まで、月一回以上のペースで風邪とみられる症状が出る「月刊風邪」状態でした。

夏休み・8月の1ヶ月間は実家を離れて田舎暮らしをしていたのですが、そんな時にも風邪を引きました。最初の風邪より体は元気でしたが、喉がガラガラできつい(確か発表の場を控えていたんだと思います)。仕方がないので、現地の耳鼻咽喉科になけなしの電車とタクシーを駆使して行きました。

こうして続いた風邪は、最初のそれより全体的な症状は少なめでしたが、喉が痛み咳がよく出ることがつらかったです。

龍角散のどすっきり飴の残り個数がその日の活動時間に関わる状況。

龍角散でないとダメだったので(喉の痛みが治まらない)、袋に入ったものをまとめ買いしました。

 

 

 

4回目風邪の治りかけにようやっと肺炎を疑って内科に行きましたが、問題はありませんでした。

この頃くらいで長きに渡った風邪の諸症状も治まりました。目にものもらいを発症したりもしましたが、こちらはもう慣れたものだったので気持ち的にダメージはありませんでした。土日に1日並んで眼科で目薬をもらい、暫く使ったら治りました。

 

今考えると大学3年生という、サークルや授業が佳境に入る上就活の準備も急かされるこの時期に、私にしてはよくやったなと思います。

その後燃え尽きていた気もしますが、またそれは別の話。

だんだん歳をとり実感しましたが、健康が損なわれると生きる気力がガクッと落ちます。それのどれほどきついことか。

恐ろしく月並みですが、健康には気をつけましょうね!

 

 

研修おわり、そしてはじまり

はてなから通知のメールがたまに来るので、その度にブログの存在を思い出し書きたいことを考えていた。

電車に揺られる仕事帰り。いざブログを書こう!とはてなブログスマートフォンアプリに向かった途端、何も思いつかなくなる。


現在の私は新入社員として、自社の研修で本来の業務外の雑用などをこなしている。「なぜ研修において本来の業務外のことをやっているのだろう」という素朴な疑問もあるにはあるが、まあ若気の至りだろうし、定時退社しているので良しとする。

約3ヶ月行なっていた詰め込み外部研修の日々に比べると、格段に落ち着いている。

ただ余裕ができた分、社内の人間関係に気を回す頭ができてしまいストレスはそこそこにある。

社内の人間全員がまるでダメな大人であれば何とも思わなかっただろう。(実際私が選ぶことのできた会社なのでその可能性も考えていた)だが現在見た限り社内に完全なまるでダメな大人はいないし、それどころか同期含め人間が出来ている人が何人かいる。

会社としては素晴らしいことだし、トラブルメーカーがいないのは何よりだ。ただし、どうしても私はそういった出来てる人を見ると、依存したり恩を売ろうとしたりするようだ。そんな自分が嫌になってしまう。

今年の4月から今まで朝と食後には胸焼けがしょっちゅうある。しかしこの胸焼けは土曜日など解放された日には起こらない。よく出来た体だ。

この胸焼けに関しては、今のところ日常生活に支障を来すことはないので様子見。また自社の研修が終わり環境が変わると変化があるかもしれない。その頃にはいよいよ本来の業務が始まるため、ストレスにより悪化しそうだが……

 

少し生活に余裕が生まれたため、ブログも頻繁に小出しで更新できたらいいなあ。

 

 

飲み会があまりにも苦手

飲み会が死ぬほど苦手である。

今この文章を書いているこの瞬間も飲み会の帰りの電車である。新入社員として、小規模な飲み会にお呼ばれして参加した。

会としては無事楽しく終わったと言っていいだろう。誰も会の評価などはしないが、私は心から良い会だったと思っている。

 

ただ私の現在の心境としては、嫌悪感と僅かな達成感しかない。他の事を考える気力もなく、ただ脳直でスマホを弄るだけだ。

この嫌悪感とは、思うように話が出来なかったこと、それ以前にうまく言葉や声を出せなかったことなどが要因にある。ちなみに僅かな達成感は、ひとまず「今回の飲み会を切り抜けた」という自己肯定だ。

 

要はそもそもコミュニケーションが終わっているのだろう。

それなのにコミュニケーションの活発さ、溌剌さが求められる飲み会の場でうまくいくはずはない。

なぜあの場面で言葉を切り出せなかったのか。真顔の瞬間に人と目が合った後、堪らず逸らしたことを思い出し悲しくなる。あまりに悲しくなるので深く考えることはやめよう、となる。

もう今更、終わっているコミュニケーションをどうにかできるとは到底思えない。どうにかしたいからこうしてつらつらと文章を書いているが、完全解決は無理だろうという話だ。

私が他の社員の方と話す時の雰囲気だとか、それ以前に人への曖昧で微妙な接し方は今日までの私の対応で決まってしまっているのだ。

どこかで違う生き方をしていたら、もう少し飲み会やそのためコミュニケーションを毎回楽しいと思うのだろうか。

 

普段から口数は多くない。人と人の仲が良いのは良いことだと思っているが、自分のことになると自己の世界を守りたい気持ちが優先されてしまうのだと思う。

私に守りたいほどの自己の世界があるのかというと、すぐには具体例が思い付かないため否定も肯定もできない。

逆に世渡り上手な人は自己の世界を持っていないのだろうか。いや、そんなことはない。 そういった人達はしっかり自分の意見や考え方を持っていて、なおかつ人にもそれを話して上手く人を巻き込んでいるのだ。

 

たまに自分でも余計だと思う意地を張るときがあるので、きっとそういう所なのだろう。つまり、自己の世界が変わってしまうことも恐れずにそれを表に出すことが少しは根本的解決に繋がる…と思う。

それがすぐに実行出来ていたら苦労はしないけど。 

またこれは私のどうこうに関係ない文句ですが、

アルコールを飲むような場でないと会社の様々な人と話す機会がないのはなんだかなあと思う。

「会社の大きな飲み会は、会社の(偉い)人と会話ができる貴重な機会」と言われた。現代日本ではまあそうだろう。

しかし少し考え直してみると、飲み会でないと話す機会がないのは少しおかしいのでは?となる。

アルコールを含んだ会社の偉い人は2/3の確率でお話にならない。それは酔っ払い単体で潰れたり、一方的なアドバイスモードになったり、場が宴会ノリに入ってしまったり等の事例がある。

飲み会がもうそういう「羽目を外してストレスをパーっとやる場」なら、他の「会社の人と話す機会」もあってほしいものである。 こういった会社の人との人脈形成が本当に昇進なりに繋がるのであれば尚のことだ。

それにしたって私は前述の通りコミュニケーションが終わっているので、色々と難しいものはあるが……